私の開拓者精神

 本年1月,丸岡啓二先生の後任として有機金属化学研究室担当教授に着任いたしました.こうしてご挨拶の原稿を書きながら,2001年1月15日,赴任のために乗った飛行機が,千歳空港に降り立った時の強烈な印象が鮮明に思い起こされます.~前任地の東京を離れた約1時間半後,飛行機は薄曇りの空気を突き破りながら高度を下げ,恐れさえ感じさせる荒涼とした大地にゆっくりと近づいていました.もう着陸しようかという頃,「ここに降り立ったその瞬間から,本当にこの国の住人になるんだ.そして新しい人生が始まるんだ.」という恐れと興奮が入り交じった複雑な思いが体を震えさせ始め,着陸の時には,遂に心に火が付くのを自覚したのでした.「開拓者精神とはこれなんだ」と気づいた瞬間でした.
 1961年12月15日(北大赴任の39年前),私は北海道とはずいぶんかけ離れた高知県の小さな町に生れました.佐川町という人口1万5千人のその町は,高知市と愛媛県松山市を結ぶ国道33号線を高知市から車で30分ほど走り,そろそろ四国山地の始まりかと思わせる峠のトンネルを抜けたところにあります.札幌農学校2期生の広井勇先生(札幌農学校教授,東京帝国大学教授,土木工学会第6代会長,小樽,函館,室蘭などの港湾を設計し,港湾の父と呼ばれる)は佐川町出身の偉大な先輩です.
 私は中学校までこの佐川町の学校に通い,土佐高等学校を卒業後,1980年,京都大学工学部合成化学科に入学しました.田舎育ちの少年が桜舞う華やかな 鴨川のほとりで感じたものは,21年後の千歳空港上空での思いとどこか重なるものがあった様に思い出されます.京都では大学院博士後期課程(伊藤嘉彦教授,有機金属化学研究室)まで進み,さらにそのまま助手の職に就いたので,結局15年間にわたりここで過ごしました.まさに第2の人生がここにありました.今でも京都は私の第2の故郷です.
 1995年から北大赴任までの6年間は東京で過ごしました.この間,東京工業大学理学部化学科助手,東京大学大学院理学系研究科助手,講師,助教授として中村栄一先生の研究室(物理有機化学研究室)でお世話になりました.東京への移動は確かに人生の大きな転機ではあったのですが,ここに最初の一歩を踏み出した時には,京都・鴨川や千歳上空でのあの感動はありませんでした.この違いは一体何によるのだろう?この原稿を書きながら自問してみました.そして今,それは自立の問題ではなかろうかと思います.京都では大人としての自立,千歳上空では研究者としての自立への思いが潜在していたのではないかと思われるのです.その自立が今始まるのだという恐れと希望が,体を震わせ,心に火を付けたのだと.そして千歳上空では北海道の大地がこういう思いを何十倍にも増幅したのではないかと思うのです.
 周りの皆様の暖かいお心遣いに支えられた一年でした.北大の澤村を確立すべく教育,研究に精進致しますので,今後とも化学同窓会の皆様のご支援,ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます.

澤村 正也
北大理学部化学科同窓会誌「るつぼ」(平成13年度)寄稿


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